和束名物茶そばとは?和束茶葉を使った蕎麦の歴史と特徴を解説
【茶源郷】和束町の歴史
歴史的には江戸時代、二代将軍徳川秀忠の妻「江」との間に生まれた、五女徳川和子が天皇家に嫁いだ際に、当時より上質な茶葉が取れることで有名だった「和束の地」を化粧領として献上されたことから、和束町は皇室の土地「禁裏御料地」となり天皇家御用達のお茶としてさらに名を高めました。
和束茶は全国有数の高級茶
和束茶は、気象的・土壌的に恵まれた条件を生かし、古くから香り高い高級煎茶を栽培し、現在も宇治茶の4割弱を生産する産地です。
和束町のお茶の歴史は、鎌倉時代に海住山寺にいた高僧「慈心上人」が、茶業興隆の祖と言われる「栂ノ尾の明恵上人」から茶の種子の分与を受け、鷲峰山山麓に栽培したのが始まりであると言われています。
また、400年ほど前には、和束郷原山の地に57aほどの畑を開き、茶の実を蒔いたと言う記録が残されていますが、その当時の製茶法は極めて幼稚なもので、自家用に使われていたと言われています。
その後、1738年に和束の隣、宇治田原町の永谷宗円が煎茶法を考案されましたが、和束ではそれ以前からお茶を作り販売していたらしく、町内の大智寺所蔵文書にその記録があります。
その頃からお茶の栽培が増え、煎茶を専門にする農家が出始め、江戸時代中期からの茶保護施策により、和束茶業も一層発展し今日に至っています。
日本遺産【石寺の茶畑】が徒歩3分!
和束家から徒歩3分の所に日本遺産「石寺の茶畑」があります。
小高い山を見上げるだけでは想像がつかないほど、急傾斜の山の上にも茶畑が広がります。
京都府の景観資産第1号にも指定され、さまざまなお茶のPRにこの茶畑の写真が使われています。
変わり蕎麦の一つ「茶そば」
いろいろな「変わりそば」の中で、特に色鮮やかなものを「色物」などと呼ばれますが、「茶そば」または「茶切」もこうした変わりそばの一種です。変わりそばとは、更科そばに用いられる色の白いそば粉に、さまざまなつなぎや混ぜ物をして加工したもののことです。
和束茶を使った茶そば作り体験は和束家だけ!
和束茶は全国でも有数の茶葉として非常に人気があります。そんな和束茶を使った茶そば打ち体験が出来るのは、全国探しても和束家だけ。
和束町へ訪れた際には、和束へのご旅行の思い出に是非ご参加下さい。